メルトダウンの歴史

米国のサンタスザンナで行われていたSRE(Sodium Reactor Experiment)と呼ばれるナトリウム炉の実験炉が1959年に、ナトリウム冷却系にシーラントが混入したため、高温になって燃料棒43本のうち13本が損傷した。一部がメルトダウンして圧力容器周囲を汚染したが、事故は隠蔽されて運転を開始しようとしたが、放射能汚染が深刻で廃炉となった。

 

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Photo: ansnuclearcafe.org – Admiral Hyman Rickopver

 

ミチオ・カクと原子力

米国のTV局のなかには原子力関連のレポートに熱意を燃やす局もある。そのなかのUNIT4が1979年に、住民に隠されてきたSREのメルトダウンの真実を伝えた。その記録のなかで若き日のミチオ・カク(注1)が、登場し核燃料の一部が大気中に漏れた際に骨に蓄積するストロンチウムと甲状腺に蓄積するヨウ素が体内被曝をもたらし非常に危険である、とコメントしている。

(注1)日系三世の理論物理学者でエドワード・テラーに師事。超弦理論の第一人者であるとともに科学解説者としてデイスカバリーチャンネルをはじめ多くのTV出演で全米に知られる。最近では環境科学にも興味を持ち、トヨタのFCV車の宣伝活動も行う。歯切れの良い英語の簡潔な解説は定評がある。米国でミチオ・カクを知らない子供はいないほど知名度が高い。

 

さらにミチオ・カクが強調するのは、体外被ばくよりも呼吸で吸い込むことによる体内被ばくは人体への影響は大概被ばくの10倍多く、特に放出された希ガス(Xe)は(活性炭素と希ガスの相互作用が小さいため)ガスマスクでは防げないので非常にも危険である、としている。米国の原子力関係者の共通した理解として、体内被ばくの危険性が徹底しているようで、アーニー・ガンダーセンの「福島で(甲状腺癌が)これから大量に発生する」という警告はこのためと思われる。福島の事故直後のコメント「福島はチェルノブイリより深刻」はそうなる危険性があった、ととらえるべきだが、確かに紙一重のところにあった。

 

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Photo: Crooks and liars

 

ナトリウム炉は何故必要だったのか

1947年から危険なSREを行った米国は、フェルミが最初に黒鉛型(実験炉)原子炉を発電に応用することで、米国民の旺盛なエネルギー消費に対応する計画を立てた。国民には「冷蔵庫で食品が新鮮に貯蔵できるようになり、子供が夜読書をすることができる」として、火力から原子力への転換をアピールし受け入れられたが、大規模な原子炉の稼働にはウラン燃料が不足するため、増殖炉の開発を急いだことが裏目に出た。

シカゴ郊外にあるアルゴンヌ国立研究所は1952年からアイダホ州にNRTS(National Reactor Testing Ground)を建設し、沸騰水型軽水炉(BWR)開発の一環として原子炉の出力が瞬時に上がる影響を調べていた。この危険な実験はいまでいうシミュレーションが実用化されないため、原子炉の「暴走状態」を実験的につくりだして調べる、という無謀なものであったが、実は日本にも同様な原子炉暴走の実験炉が存在していたことは知られていない。

アイダホNRTSの実験結果はBWRの非常用炉心冷却の設計に活用され、標準的なフェールセイフ機構となる。福島第一の初期に非常用炉心冷却装置が機能した。NRTSの原子炉暴走実験では意図的にメルトダウンが起こされ、燃料棒が高温になり損傷を受け溶融することが実験データが収集された。原子炉の安全性に寄与した。

 

ナトリウム炉の危険性と裏腹に先進性はその後も未来型原子炉として研究開発の対象となり以下の新型原子炉を生み出した。

PRISM(Power Reactor Innovative Small Module)原子炉

GE日立ニュクリアー・エナジーが開発したモジュール型小型(311MWe)のナトリウム炉。

4S(Super-Safe, Small & Simple)原子炉

東芝が開発する1-50MWの小型ナトリウム炉。冷却システムが故障しても自然対流でヒートポンプのように冷却されるので安全。最近、ビルゲイツ財団が東芝と協力して実用化を目指している。

 

メルトダウンの教訓は生かされるのか

1979年のスリーマイル島原発の事故で世界的にメルトダウンが知られるようになったが、1959年にサンタスザンナで起こっていた。その後アイダホ原発で意図的に原子炉暴走とメルトダウンが研究された結果、安全性が確立されたと思われていた。「もんじゅ」の事故を乗り越えてPRISMや4Sなどの新型ナトリウム炉が汚名を挽回できるのか注目されている。先進国での展開は期待できない現実があるが、開発途上国、アフリカ、中東、南米では安全で小型の原発の需要は消えていない。

軍人(Hyman Rickover、一番上の写真)が原子炉を軍用に用いる構想を持ったのは広島・長崎に原爆投下が行われた1946年。その後、オークリッジ国立研究所でナトリウム炉の研究が始まったが、もう一人の原子力開発の旗頭であったLeMay将軍が空軍の原子力エンジンを開発しようとしたことがきっかけであった。原子炉の起源は軽水炉もナトリウム炉も軍事目的であった。シェールオイル・ガスの増産で最大のエネルギー産出国に躍り出た米国は長期的なエネルギー政策として(次世代ガス炉)を飛び越えて、半世紀前に目をつけていたナトリウム炉に再び注目している。

  

 

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