デーモンコア以前にあったロスアラモス研究所の臨界事故

 デーモンコアと呼ばれるきっかけとなったプルトニムの臨界事故を引きおこして被爆により死亡した研究者(ルイス・スローテイン)については別記事にかいた。もとをただせば中性子の反射板としてプルトニウム球にドーム状のベリリウム半球を近づけていくうちに、あやまってかぶせてしまう不注意のせいであった。臨界と同時に放射線モニターが動作して、臨界を認識した彼はとっさにベリリウム半球をはずして臨界で生じた中性子線から同じ部屋にいた他の研究者の命を救ったとされる。

 Partially-reflected-plutonium-sphere

Photo:Wiki

 

デーモンコア

しかしスローテインは初歩的な過ちをその前にふたつ犯している。まずドライバーを回転させてスペースを微妙に調整することは、我々でも状況によってはやるかもしれない。スペース調整用の治具をつくるには時間がかかるからだ。しかしそんなときでもスペースが閉じて危険性がある場合は、閉じ切ることを防ぐスペーサーを置くのが普通である。誤って落としてもスペーサー以下には下がりきらないようにするためである。

重量のある物体にはさまれて作業するときにはこのスペーサーが命を救うかもしれない。第2の過ちは単独で作業したことである。(加速器の作業をはじめ)真空系の装置の作業は必ず最低2人組で行うのがよい。これによって間違いや事故を減らせるばかりか、問題が生じた場合に他が助けてくれるからである。たとえばチェンバー内にボルトが落下した際に工具を握っていて手がふさがっている場合でも拾ってもらうことができる。ダイバーの作業は他のひとりと一緒に行うのは、一方に生じた異常事態を回避するためである。ただし二人で作業する場合は相性の問題があり信頼できる相手を選ばないといけない。

 

Redundancyにこだわる米国のずさんさは理解しにくいが、優秀な科学者の頭脳を曇らせる状況にあったとしか考えられない。しかしそれはもはや日本に原爆投下を行った後であったことを考えると、戦争とは関係なく当時よくわかっていなかった臨界という原子力の世界の扉をあける立場にある、という科学者の探究心だったのかもしれない。

 

スローテイン一人に作業させたのはまずかった。被曝の犠牲を最小限にとどめるためもあったであろうが、国立研究所のマネージメントの問題である。ただしスローテインはフェルミから実験の無謀さについて警告を受けていたことからすれば、英雄願望のようなものがあったのかもしれない。

 

世界初の臨界事故

前置きが長くなったがロスアラモス国立研究所(注1)では1946年5月のデーモンコア事件を引き起こす前に臨界事故を起こしている。1945年8月21日(長崎の原爆投下は8月9日)に同研究所のハリー・ダリアンやはりプルトニウム球の上に中性子反射板であるWCのレンガを落として臨界を発生させてしまう。

ハリー・ダリアンはアルメニア系移民の系譜を持つアメリカ人。1921年にコネチカット州で生まれたダリアンは17歳でMITに進み数学を目指したが、途中で物理学に転向した秀才であった。MITからこのためイリノイ州のパーデュー大学に移り修士で卒業したのちに、サイクロトロンの研究で博士号取得を目指したが中途でロスアラモス国立研究所の一員となった。

 

経歴からみてハリー・ダリアンが優秀であったことは間違いない。しかし実験の世界では優秀かどうかより「実験のセンス」が問われる場合が多い。優秀な研究者と一緒に実験をする際に、「非常識な提案」をされることがある。優秀な人がこだわる「原理」と「現実」は異なるということなのだろう。

運命の1945年8月21日、ハリー・ダリアンはWC(タングステンカーバイド)のレンガ(4.4kg)をプルトニウム球のまわりに積み上げて臨界をつくりだす実験を行った。ちなみにプルトニウム球のみでは未臨界の状態、中性子の密度が足りなかった。

 

最後のWCブロックを積み上げた瞬間に、中性子モニターが鳴り響いたため、臨界状態に達したことを察知したハリー・ダリアンはWCブロックを移動しようとしたが、誤ってWCブロックを落下させてしまう。世界最初の臨界事故はこうして起こった。

ハリー・ダリアンは積み上げられたWCレンガを崩そうとしたが失敗し、ひとつづつ取り除かざるを得なくなった。この間の被曝が5.1Svに達し、放射線被曝の最初の犠牲者となった。このようにと記録されているが、実際にはこれより2週間前に広島、長崎では原爆投下によって21万人の犠牲者がでている。

 

リスク共有の教訓

この事故以降、原子力関連の研究所を中心として臨界事故は多発したが、日本最初の臨界事故は福島第一で起こった。1978年11月福島第一3号機では炉内圧力が操作ミスで高まり制御棒が抜けて臨界事故となった。圧力で制御棒が抜け落ちるという設計上の問題は情報が公開され共有されなかったことで、その後6件繰り返された。

ハリー・ダリアンの事故を未然に防げたであろう臨界実験のマニュアルや安全規則が、ロスアラモス国立研究所内外に徹底されていたらデーモンコア以降の事故はかなり防げたであろう。また福島第一の臨界事故もまた原子炉の設計上に問題があることを示唆していた。情報公開とリスク共有の重要性を示す例である。

 

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Photo: Modern Survival Blog

 

(注1)サンタフェに近いロスアラモス国立研究所はアルバカーキのサンデイア国立研究所やカリフォルニアのリヴァモア研究所と並んで軍事予算で成り立っている。原爆開発当時とは異なり原子力研究予算の目減りや老朽化が目だつ。連邦予算の財政が緊迫しているおり、国立研究所の職員は20%削減というリストラが進行中で、原爆開発時の栄華はもうない。UFOやエイリアンで有名なエリア51も近くにあるが、こちらも予算の縮小対象の例外ではない。

 

 

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