原爆投下は何故防げなかったのか

米国民の広い支持をとりつけるために歴代大統領は2面性を持つことが多くなる。フランクリン・ルーズベルトもまさにその典型ともいえる人物である。1929年のウオール街から始まった大恐慌に対して、彼の行ったニューデイール政策では政府の積極的な経済介入によって雇用を創出し、失業者対策で国民の人気を集め1933年には60.8%の歴代最多得票率で大統領に再選された。

 

 

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Photo: fineartamerica

 

ふたつの顔を持つルーズベルト

皮肉なことに国民の信望の厚かったルーズベルトは選挙時に「世界大戦への参戦をしない」公約を掲げていたが、それを翻して米国を数々の戦争に積極的に参加していくきっかけとなった「戦争の大統領」となった。表面的には戦争を避けるように振る舞いつつ、その裏ではルーズベルトは蒋介石軍を強力に支援して日本を封じ込める戦略をとった。

ふたつの顔を持つルーズベルトは次第に「反日」という裏の顔が目立つようになる。1941年には(日本の太平洋戦争突入のきっかけとなった)「石油禁輸法」を制定するなど、日本を戦争に追い込む政策をとった時点で、日本の参戦を考慮していたことは明らかである。真珠湾攻撃をルーズベルトは知っていたことが最近になって明らかになった。1941年12月の真珠湾攻撃後を待っていたかのように、"Remember Pearl Harbor"を合言葉に国民を戦争に駆り立てた。

1939年のアインシュタインの手紙で原爆の知識を得ることになったルーズベルトは英国の科学者の説明で原爆製造を決意し1942年からマンハッタン計画を推進する。マンハッタン計画については多くの書籍で詳しい記述があるので、ここでは詳細に立ちいらないが多くの読者は何故日本に2個の原爆が落とされ、最大12個もの大量殺戮兵器が投下を待っていたのか疑問に思うのではないだろうか。

 

敵国であってもドイツは原爆攻撃対象外

端的にいえば連合国軍を主導する立場のアメリカにとってはドイツを終戦に追い込むことこそ最大の責任であったはずである。しかもドイツが原爆製造していることを最も恐れていたはずである。何故、ドイツに原爆を落とすことを考えなかったのか。この理由を以下の推論で説明を試みよう。ここでもルーズベルトの2面性が関係してくる。

移民の国であるアメリカのドイツ系移民は戦前から多かったが、とりわけ独裁者の迫害から逃れた多くのユダヤ系科学者が移住し、忠誠を誓ってマンハッタン計画やその後のロケット開発に携わった。ユダヤ系移民はアメリカの金融中枢にいて政府ともつながりが深かった。また彼らはアメリカの発展のエンジンであった科学技術と近代産業に計り知れない貢献をした。敵国ではあってもドイツ系移民はアメリカを支えている兄弟なのである。

ルーズベルトは人種差別の顔を持っていた。太平洋戦争中に米国への忠誠を誓っていた日系移民を強制収容所へ送り込むなど、公然と反日感情をあらわにしたのであれば、大量殺戮兵器を使い日本が二度と立ち上がれないほどに破壊し尽くすことを計画したとしても不思議ではない。差別の対象とすべきアジア系でも西欧に互角の勝負をしかける日本の特殊性、というより米国人と対極にある日本人の器用さと粘り強さ、を恐れたのかもしれない。戦後にアジアで孤立するほど驚異の再興を成し遂げて経済大国となった日本。すでにこの時代に来るべき"Japan as No. 1"を予見し恐れたとしたのであれば、ルーズベルトの直感力は鋭かったといえる。下の写真はのちに"Atoms for Peace"のもと原子力平和利用を積極的に推進することで逆に核兵器不拡散を狙ったアイゼンハワー。

 

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Photo: Los Angels Times

 

原爆投下に反対だった軍人たち

結果的には広島、長崎で21万人の犠牲者を出した原爆の使用を最終的に認めたのはトルーマンだが、その意思はルーズベルトを引き継いだにすぎない。次にビデオニュース.COM 8月22日から以下の関連記事を転載しておく。『アイゼンハワー元大統領が日本への原爆投下に強く反対していたことが、1963年に出版された回顧録の中で明らかにされていたことがわかった。大統領退任後に書かれた回顧録「Mandate for Change」の中でアイゼンハワー氏は、1945年の連合軍司令官の時、スティムソン陸軍長官から日本への原爆投下の意向を知らされ、「日本との戦争ではすでに勝敗は決している」、「日本はメンツが保てる形で降伏する機会を模索しているだけだ」などの理由からこれに強く反対し、原爆投下によって国際世論からアメリカが非人道的な国として指弾されることを懸念したとしている。』(ビデオニュース.COM 8月22日

ちなみにルーズベルトによってアメリカ陸軍極東司令官に任命されたマッカーサーはルーズベルトと馬が合わなかった。マッカーサーは日本が戦争を続けることが困難であることを見抜き、広島への原爆投下に反対であった。つまり戦争を熟知していた軍人なら、原爆投下の必要がないことがわかっていた。例え戦争に庄りしても敗戦国の屈辱と怒りを買う行き過ぎは占領後に問題を起こす火種にいなることも知っているからだ。となると2種類の異なる型式の原爆を相次いで日本に投下したのは、「反日」と「実際に使用して破壊力と被曝の影響のデータを得る」目的と考えざるを得ない。(特に後者は大戦後の世界を支配するためには必要不可欠なアメリカしか知り得ない情報が得られる格好の機会であった。)

 

全米に広がる原爆の認識

理由はどうあれ原爆投下で犠牲となった民間人21万人は永遠に消し去ることのできない歴史として記録されなくてはならない。毎年8月にこのことを思い出すのは日本人だけだろうから、できれば当事者として責任のある国に記念館をつくる必要があるのかもしれない。またそれを許せる国となったとき大戦後も世界各地で戦争を止めることのなかったアメリカも「戦争で何事も解決できる」とするPower Politicsが幻想であったことを悟るのかもしれない。

ルーズベルトの署名したExecutive Order 9066によって120,000人の日系移民はMinidoka収容所(下の写真)にいれられた。この地は負の歴史的遺産として保存されている。明らかにルーズベルトのこの大統領令は米国憲法に違反したものでありその証拠として保存されているのである。原爆記念館も見識が広まれば自ら建設して訓戒とする可能性はあるだろう。

 

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Photo: The Conservation Fund

 

アメリカの若い世代の原爆投下に反対意見は現在、45%。過半数まであと一歩にある。

 

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