テユーリンゲンの地下探査〜ナチスの核兵器を追って

NBCニュースによれば、テユーリンゲンの地下に隠された核兵器を探査して、ドイツの原爆製造の真相を解明しようとする計画が進行中である。

 

地中レーダーと磁気センサーによる先行探査では原爆に似た金属の構造物が発見されたため、探査チームに爆弾専門家が加わった。その結果、外形が1945年に長崎に投下された原爆(ファットマン)と似ていることがわかった。最終的な確認には至らないものの、今後の調査で核実験と原爆製造の真相解明が進展するものと考えられる。

 

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Source: disclose.tv

上の図の地中探査3Dマップには構造が観察される。このデータだけでは原爆と断定できないが、核実験場とされるテユーリンゲンの実態の解明に結びつく可能性はある。広島型原爆(ウラン・ガンバレル型)と長崎型原爆(プルトニウム・インプロージョン型)の違いは、よく知られているが、後者は複数製造されその後の核兵器の主流となったが、前者は広島に投下されたのみであった。

 

インプロージョン方式はマンハッタン計画の科学者たちが編み出した最良の起爆方法である。そのため集中して開発が行われてしかるべきであるが、戦時中という極限状態であったにもかかわらず2種類の原爆を並行して製造した。これが原爆開発についての大きな謎である。また広島型原爆は実験なしの本番で使用されたが、長崎型原爆はニューメキシコ州の核実験場でトリニテイに始まる地上での原爆実験で科学者立会いのもとで、事前に威力が検証されていたことも不思議である。

マンハッタン計画の科学者たちは核兵器としてプルトニウム原爆を、起爆方式にはインプロージョン方式を最良の組み合わせとしていたからである。大規模なウラン濃縮をあえて実行し、広島型原爆を製造したことは謎であった。(注1)

(注1)米国が原子力の平和的側面すなわち原子炉を念頭に置いていたとすれば理解できる。実際に軍は原子力利用を潜水艦の推進力として考えていた。また大量殺戮兵器の製造に加担することとなった科学者にとっても、ウラン濃縮に原子力の平和利用の道を残すことは大義名分にもなったであろう。

 

そうした疑問が「ドイツが核兵器(広島型原爆)を製造し、それが米国に渡って、投下された広島型原爆あるいはその原型となった」とするを生み出した。(「広島型原爆はナチス製だった」、高橋五郎著、講談社、1986年)また2005年には、ドイツでナチス・ドイツが核兵器開発を進めドイツ東部テユーリンゲンで核実験を行ったとする本(「ヒットラーの爆弾」)が出版され、原爆製造の仮説が欧州でも話題になった。(2005年3月16日、東京新聞)

 

広島型原爆に関する多くの謎は解明されないまま、様々な憶測を呼んだ。ドイツの原爆が米国の手に渡り、それが広島型原爆の原型となったとする説もその一つであるが、テユーリンゲンの地下探査で見つかった地下の金属構造物がインプロージョン型のファットマンに近い形状(注2)ならば、ドイツの原爆を参考に広島型原爆が使われたことと矛盾する。

(注2)インプロージョン型の基本は中央に置かれたデーモンコアを収めた球を32面体に分割し、2種類の爆薬を組み合わせた爆縮技術である。マンハッタン計画の成果とされるこれらの技術がドイツの原爆にも用いられていたとすると、原爆製造の歴史が変わるかも知れない。

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Source: Wall Street Journal

写真は1945年にドイツが建設した実験用原子炉。吊り下げられている立方体はウラン燃料。これ以外にも実験用原子炉が複数稼働していた。吊る下げられたウラン燃料は黒鉛で囲まれた炉心に置かれて運転される。下の図参照。このスキームはシカゴ大学で世界初の運転とされているフェルミの黒鉛型原子炉と似ている。戦後、米国のペーパークリップ作戦同様にソ連も核物理研究者を自国に連れて行って原子炉の研究を行わせた。その結果がチェルノブイリ事故を起こした黒鉛型原子炉であった。

 

重水製造プラントはノルウエーにあり連合軍の爆撃で破壊されたが、相当量の重水がドイツ本土に運ばれたと考えられる。

 

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Source: Nevington War Museum

 

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