英国原爆の父ーウイリアムペニー

 来日したメルケル独首相が東京都内で講演を行い、ドイツが過去のナチスによる残虐行為の犠牲者となった近隣諸国と和解したように、日本も「歴史に向き合う」べきだとコメントした。同じく「教科書問題」を抱える国としての忠告だろうか。

 

1920px-British Nuclear Tests Veterans Association memorial

 

 仮に日本が歴史認識を歪めているとして、広島、長崎の悲惨な「歴史」を世界はいったいどのくらい認識しているのだろうか。少なくともロスアラモス国立研究所の原爆資料コーナーやスミソニアン博物館には一切、「悲惨な歴史」の展示はない。米国民の58%が戦争終結のための「原爆やむなし」に賛成という事実は、「歴史に向き合わない」といえるのではないか。

 

 マンハッタン計画とその中で中心的な役割を果たしたロスアラモス国立研究所については多くの成書があるので、ここでは詳細に立ち入らない。オッペンハイマーはじめとして水爆開発に反対した物理学者は研究所を追放されたし、ロスアラモスに勤める友人は現地の展示を見学した筆者に「すまないことをした」と謝って来た。悲惨さを伝える写真をみた人の多くや核実験で被曝した軍人達も本音は同じ気持ちになると考えたい。

 

 ところであまり知られていないのが英国の原爆保有に至る経緯である。上の写真は静かなLeicester(レスター)にある原爆実験に関与した英国軍人の慰霊碑。

 

 英国はマンハッタン計画に総力を挙げて協力した。初期にバーミンガム大学のユダヤ系物理学者が、ウラン235の核爆発に関する評価を行い10kgのウラン235があれば、十分であることを示したことは具体的ウラン濃縮の目標の設定に役立った。ニールスボーアもまたオッペンハイマー同様、核物理の理論的な側面で計画に大きな影響を与えた英国の(ユダヤ系)核物理学者である。下の写真のがここで紹介するウイリアムペニー。

 

 Sir William Penney PicHulton 567863527

Source: Mirror

 

 さらに英国のウラン爆弾の実現可能性を評価する委員会がアメリカに働きかけたこと、マンハッタン計画が動き出す契機となったし、英国の産業面での協力抜きには計画は遂行できなかったと英国自身が認めている。

 アメリカはしかし原爆から水爆開発を押し進め、ソ連との軍備競争の結果、大量破壊兵器の集積に至るが、親密であるはずの英国が原爆を持とうとした時には反対し、予算援助を退けて英国の原爆製造を押さえ込むことに奔走した。英国にはソ連の脅威が迫っていると考え、フランス、中国と同様に独自に原爆を持とうとしたが、これが英国型原子炉の開発と関わる。

 英国型原子炉すなわちコールダーホール原子炉はアメリカの2社(GE社、ウエスチングハウス社)が推進する軽水炉(それぞれ沸騰水型(BWR)と加圧水型(PWR))と異なる黒鉛炉であった。

 コールダーホール原子炉はセラフイールドに1956年に建設されたが、この設計は電気出力を取り出すことよりも、原爆材料のプルトニウム生産に都合の良い原子炉であった。この型式は英国独自のマグノックス炉と呼ばれ、軽水炉に比べて、熱出力密度が小さい為に、原子炉が出力の割に大型になる欠点があったにも関わらず、日本初の原発、東海発電所に採用される。この経緯は「メルトダウン連鎖の真相」に詳しく記述されている。

 さて機密解除されたアメリカ公文書によると、イギリス政府として英国代表が公式に「日本への原爆使用に同意する」と発言したとあり、同時にトップ会談(ケベック会議)でも原爆使用についての2国間での合意に関して紳士協定ができていた。

 しかし実際には2国間に次第に微妙な亀裂が入り、英国が独自に原爆を持つ事をアメリカは阻止しようとする。英国はこの危機を一人の英国人(ウイリアムペニー)のリーダーシップで乗り越えEquinoxという独自の原爆を完成する動画に詳しく描かれている。

 

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 ウイリアムペニーはロスアラモス研究所でマンハッタン計画に加わり、原爆投下の際にも爆撃機で立ち会った人物。英国の格開発の指導者となった彼は後にアメリカが核爆発の(生体への)放射線効果を過小評価している、と批判したことが英公文書館に保管されていた文書で明らかになった


 放射線による悲惨な被害実態が世界に知られることを警戒し、厳しい報道規制を敷いていたアメリカが最重要同盟国である英国に対しても、核兵器の本質を隠していたことにもふれている。


 こうした不信感もつのるなか英国の原爆開発は急ピッチで進められ1952年にはプルトニウム型爆弾(セラフイールドでつくられたプルトニウムを使用)実験にこぎつけた。その後、中国(1967年)、インド(1974年)、パキスタン(1998年)、北朝鮮(2006年)と続く。

 

コメント   

# Michio 2015年04月23日 16:38
英国の原子力産業が、核兵器開発で得られた技術、知識を生かし、コールダーホール原子炉を開発し、初期には 売り込んだものの、核拡散の観点から技術移転を停止し、また、遠心分離技術をドイツ、オランダとの多国籍企 業として育て上げ核拡散を防いできたことは英国の核不拡散への貢献と思う。最近でも核兵器削減実績をわずか でも実施している点も英国の独自性が出ている。核兵器国の責任を考えるうえで、この記事は興味深い。

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