核拡散とNPTの歴史(第五回、最終回):保障措置の歴史と将来

核拡散とNPTの歴史のタイトルで、第二次大戦の頃からの核兵器開発の歴史(*1)、IAEAの設立(*2)、非核兵器国での原子力活動(*3)、NPTの成立と再検討会議(*4)について記述してきた。1940年代にマンハッタン計画として始まった核兵器開発が短期のうちに目的を遂げ、瞬く間に、ソ連(1949年)、イギリス(1952年)が核兵器国となり、フランス(1960年)、中国(1964年)が核実験を行い、国連安保理で拒否権を持つ5大国が核兵器国となるに至った。皮肉な見方をすれば、これにより5大国に核兵器保有を限定するというNPTの枠組みが整い、NPT草案の交渉が進み、国連での推奨決議(1968年6月)が採択に至ったといえよう。

もっとも、不満の残る日本、西欧諸国の署名、批准は遅れ、日本の批准は1976年であった。1990年代には、フランス、中国の核兵器国、南アフリカ共和国、南米の国々などが政策を転換し、NPTに加盟したこともあり、NPT下の包括保障措置の適用は広範な国に及び、その普遍性が高まった。その一方で、イラク、北朝鮮の核兵器開発計画が明らかになり、保障措置強化の必要性が多くの国に認められるに至った。1990年代終わりまでに、追加議定書を含む保障措置強化政策が合意され、実施されるに至った。2000年代に入るとイラン、リビアなどの未申告核開発計画の存在が明らかになり、秘密の核関連技術、機材を供給するブラックマーケットの関連が解明された。本投稿ではIAEA保障措置の変遷を、NPT発効以前の1950年代から概観し、保障措置の歴史と将来について考えてみた。

 

 

保障措置以前?

1950年代初め、原子力技術が限られた国に独占的に保有されていたが、この状況に対し、当然ではあるが、多くの国は平和利用目的の原子力技術の移転を求めた。米国アイゼンハワー大統領はAtoms for peace 演説(1953年12月)を行い、原子力平和利用を推進する国際機関の設立を提案し、機関に世界的査察・管理体制を構築し、核兵器国の備蓄した核分裂物質のうち余剰なものを、平和の目的に利用することを目指す構想を述べた。これを受けてIAEAの憲章の起草が進められ、1957年7月にIAEAが誕生した。このころ定式化された保障措置体制はなかったが、平和利用のための原子力技術移転、供与は極めて急速に進んだ。

 

1950年代の核不拡散体制の概要

1950年代初めから、西欧諸国は隣の国の核拡散に神経をとがらす(相互監視)ばかりでなく、相互協力を進め、核拡散を地域として防ぐ体制を作っていた。1957年にはEURATOMが生まれ、地域保障措置により核兵器への転用を防止する体制が強化された。こうした背景で、NPT下の包括的保障措置が整備される1970年代まで、西欧各国への技術移転、供与に対しては障壁が低く、国際保障措置が強く求められていなかったようである。余談であるが、NPT下の包括的保障措置へ移行したのちも、EURATOMは既存のEURATOMの査察体制をIAEAに認めさせ、ある意味ではIAEA査察官の権限を制限し、EURATOM査察官とIAEA査察官によるジョイントチーム、IAEA査察官がEURATOM査察官の行う査察を観察することをもってIAEAの査察とする(observation regime)などEURATOM外の非核兵器国でのIAEA査察体制とは異なっていた。

ソ連の衛星国である東欧諸国への技術移転、供与に対しては、主供給国であるソ連は国際保障措置を求めなかったようである(ソ連による監視で十分ということであろう)。

ヨーロッパ諸国に比べ、日本を含むアジア、アフリカでは地域国際的管理体制が整っていないため、これらの国々は原子力技術の供与を得られず、恩恵にあずかれないことを恐れたが、冷戦のさなか、東西の両陣営で、同盟関係強化、確認の一環として、1960年代半ばまでは原子力技術供与が急速に進められた。

 

日本:西側先進国に遅れないための努力

日本では1956年6月に日本原子力研究所が設立され、1957(昭和32)年8月には日本初の原子炉であるJRR-1が臨界に達した。Atoms for peace 演説から4年ほど後の出来事である。現代の研究炉建設、燃料調達、運転認可などに要する手間と時間を思えば、信じられない短期間で実現されたのが理解されよう。供給国(米国)と受給国(日本)の平和目的の原子力技術移転への政治的決意が感じられよう。JRR-1の運転開始はIAEAの発足とほぼ時を同じくしているので、JRR-1に対する国際的保障措置、査察体制などはできていなかったと考えられる。核拡散の危険の少ない研究炉なら良いのではとの考えで米国が提供したのではと思われる。

JRR-1に続き、日本は、次々と原子炉を建設していった。1960年代初頭に臨界に達成した、JRR-1, JRR-2は共に重水炉で、天然ウランを燃料とし、出力も各10MWthと大きく、プルトニウム生産に適したものである。また、英国から導入したコルダーホール型黒鉛減速ガス冷却炉585MWthもプルトニウムの生産にしたものでであった。今日このような原子炉建設を進めたら多くの国から核開発を疑われることは必至である。イランのArak炉(40MWth)の例を見れば明らかであろう。当時でも日本の政策に不安を覚える国は多かったと思う。

こうした国際社会の状況で、日本が独自の原子力開発を進めるうえで、核兵器開発を行っていないとの国際的信頼を獲得するうえで、国際機関による保障措置、査察を受け入れる意図を持ちつつも、西欧諸国に比べ不利な待遇には甘んじたくないとのジレンマに日本政府は悩むことになっていた。長い間、日本政府は「EURATOM並みの保障措置」を目指した。ヨーロッパに比べ厳しい保障措置が日本に対し行われ、日本の原子力研究、産業が不利になることのないことを早期から重視したのである。

こうした状況で、日本は、1950年代から米国、カナダ、英国などの原子力技術供給国と協同して、IAEA に国際保障措置の権限を移管する枠組みを模索した。

 

プロジェクト協定による原子力協力

IAEAの発足して間もない時期に、日本は平和目的のプロジェクトのために、IAEAに天然ウランを供給するよう要請した。これに対し、カナダはIAEAに必要なウランを提供し、IAEAの管理下に置くことに合意した(*5, INFCIRC/3, 1959年 )。この文書は、IAEAが独自の分析、計量などを行い、供給されたウランの量を確認し、原子力の目的に利用されていることをIAEAが保証するという趣旨のもので、IAEA の国際保障措置に関する最初の公式文書である。日本のすすめる野心的な原子力開発計画にとってこの文書は政治的に重要なものであった。

IAEAの査察が現実のものとなったことにより、総会でIAEA査察官の役割も定められた(*6、GC(VI)/INF/27)。

こうして、供給国と被供給国の定める原子力協力プロジェクトごとに、IAEAとプロジェクト協定を結び、その中でIAEA保障措置を具体的に定め、実施するのがEURATOMと東欧圏に属さない国々(日本、フィンランド、パキスタンなど)で試された。

 

保障措置移管協定(STA)

プロジェクト協定による保障措置は、プロジェクト毎に保障措置の適用範囲を決め、文書化する必要があった。効果的な保障措置体制が査察文書を標準化し、明文化する必要性が認識された。1961年に、最初の査察文書がIAEA理事会で承認された(*7、INFCIRC/26)。この文書は施設に対する保障措置、核物質以外の核関連物質、機材などの保障措置も視野に入れており、二国間協定で合意された保障措置の適用範囲に応じ、IAEAに移管する保障措置の範囲を定義できる。合わせて、査察の頻度なども定めており、極めて画期的なものであった。供給国と被供給国の合意で保障措置をIAEAに移管するので、STA(Safeguards Transfer Agreement) による保障措置と呼ばれる。

1965年(*8、INFCIRC/66)、1968年(*8a、INFCIRC/66 rev.2)にIAEAの保障措置文書はさらに改訂され、NPTによる包括的保障措置協定に移行するまで継続された。NPTに未加盟のインド、パキスタン、イスラエルなどNPT未加盟国に供給された施設、物質、機材などに対する保障措置は現在までSTAにより実施されている。

STAによる保障措置は核物質のほか、施設、機材、原子力技術、非核物質(重水、黒鉛など)など2国間協定により供給されたすべてのものに対し保障措置がかけられるという点で、NPT下での包括的保障措置と異なっている。顕著な弱点としては、保障措置を受ける国が独自に得た物質、独自に開発した施設などは保障措置の枠外になることがある点である。こうした点で、インドは国産の天然ウランを用い、保障措置のかかる施設で核兵器用プルトニウムを得たといわれ、供給された原子炉の設計を転用したともいわれている。

 

包括的保障措置協定(CSA)

NPTの下での包括的保障措置協定(以下CSAと呼ぶ、*9 INFCIRC/153)批准の経緯については(*4)で触れたので繰り返さないが、協定の技術的側面に関し、以下の点をみておきたい。

1990年代まではNPT加盟国による核兵器開発は表立った話題にのぼることは少なかったが、1990年代に入り、イラク、北朝鮮による未申告核兵器開発計画が知られ、国際的に核不拡散の必要性が再認識されるに至った。核兵器解体を終えた南アフリカ共和国がNPTに加盟し、核兵器国であるフランス、中国そしてラテンアメリカ諸国が核不拡散政策を変更し、次々とのNPTに加盟した。NPTの加盟国が大幅に増え、地理的に広がり、その普遍性が改善した。こうした背景を受け、1995年のNPT再検討会議でNPTの無期限延長が決定された。この再検討会議に前後して、NPTの下での包括的保障措置の強化の必要性が国際社会の認識となり次のような強化策が進められた。

 

IAEAの情報収集、分析の強化

IAEAが情報を収集し分析評価する能力を飛躍的に拡大することの必要性が、多くの加盟国に認められた。NPTの下でのCSAでは、従来、「非核兵器保有国である被査察国」(本稿では単に「被査察国」と呼ぶ)はIAEAに対し、主に核物質の情報に限って提供してきた。これは1970年代初頭のCSAの起草に際し、西欧諸国、日本など原子力先進国が原子力産業の企業秘密保護、核兵器国と対等な経済性などを求め、広範な原子力関連情報の提出に抵抗し、査察の範囲を核物質に限定したことに由来する。IAEAは核物質の情報を受け取り、検認し、評価してきた。しかし、被査察国の原子力活動が平和目的のものであるか否か、また未申告施設が存在するかしないかを判断するために十分な情報が与えられたとは言えなかった。

IAEAの情報収集分析能力の向上に向け、保障措置の効率化に向け、サテライト映像などを含む一般メディアの報道情報を積極的に利用することを奨励すること、被査察国は自国の原子力関連情報の提供を改善し拡大すること(例えば、設計情報の早期提出、原子力計画の報告、ウラン鉱山に関する情報)、各国政府は入手した情報(例えば、核関連機材の輸出入情報、諜報活動からの情報)をIAEAに提供することなどが取り入れられた。

 

CSAの強化:追加議定書

イラク、北朝鮮の例から、CSAは未申告核物質と施設で行われる原子力活動に対しては不十分であるとの認識が広く受け入れられ、被査察国の原子力活動に関する申告を充実、拡大する必要性が合意された。具体的には被査察国による設計情報の早期提出、核原料物質と原子力機器の輸出入、研究開発計画など広範な原子力情報の申告(Expanded declaration)などを盛り込んだ強化案が合意され、追加議定書(Additional Protocol)として文書化された (*10 INFCIRC/540、1997年).

追加議定書では、Expanded declarationの整合性、未申告核物質と施設の不在を確認する目的で、IAEAによる被査察国に対する補完的アクセス(Complementary Access)や環境試料採取と分析が追加議定書で認められた。

設計情報の早期提出と追加議定書はほとんどの国とのCSAに盛り込まれており、IAEAが未申告核物質と施設の存在について評価できるようになったので、CSAへの信頼が大幅に改善した。

 

強化策の実践

以上CSAの強化をIAEAによる情報の活用、未申告核物質と施設の不在などの観点から見てきたが、このほかにも原子力技術供給 国から原子力機器の輸出入情報の自発的提供が断続的に行われている。また、イラン、リビアなどで明らかになったAQKhanのブラック市場でのウラン濃縮技術の入手ルートの解明では一部加盟国からの情報提供が行われた。強化策はCSAを受け入れたすべての国で行われているわけで、IAEAの査察が核物質の転用だけでなく未申告核物質と施設への対応を含め、被査察国の平和的原子力利用を確認できるようになったことは大きな進歩である。

 

将来を見据えると

イラン問題の経緯を振り返り、包括的共同行動計画 (JCPOA, Joint Comprehensive Plan of Action) の合意内容から、将来の保障措置の方向性を考えてみたい。

イラン問題の発端は未申告のウラン濃縮施設の存在であった。反政府グループの情報やサテライト映像も使われ、イランの招きにより、IAEAが施設を訪問し、疑惑の解明が始められる中、環境試料の採取と分析により遠心分離機に付着した微量の高濃縮ウランが検出され、これが問題究明の転換点になった。また、イランの原子力機器の調達に関する加盟国から提供された情報がAQKahnのブラック市場解明につながった。イランは設計情報の早期提出、追加議定書の受け入れなどに難色を示し続けたわけだが、これもIAEAの強化策が核拡散への抑止力として有効なことを物語っていると思う。また、一部加盟国から提供された軍事的側面(Possible military dimension) の情報の利用は従来見られなかったものである。IAEAは現在12月の理事会に向け、イランでの監視、管理体制を整えている。報告書に期待している。

JCPOAについては米国の議会では「弱腰で国益に反する」などの強硬な反対意見が聞かれるが、筆者は「ウラン濃縮を15年遅らせる実質的な効果」が大きいと思う。皮肉な言い方であるが、イランはウラン濃縮の開発を独自に行う知識をすでに獲得しており、JCPOAによる強力な監視、管理のもとに置かなければ短期のうちに高濃縮ウランを生産する能力を持っているからである。この意味で、イランでのJCPOA実施が有効に働き、将来の保障措置の方向性が見えてくることを期待している。

 

参考文献

(*1)http://www.rad-horizon.net/vienna-reports/255-nuclear-proliferation-npt-1

(*2)http://www.rad-horizon.net/vienna-reports/359-nuclear-proliferation-npt-2-iaea

(*3)http://www.rad-horizon.net/vienna-reports/442-nuclear-proliferation-npt-3-technology-nonproliferation

(*4)http://www.rad-horizon.net/vienna-reports/503-nuclear-proliferation-npt-4-review-conference

(*5)

https://www.iaea.org/sites/default/files/publications/documents/infcircs/1959/infcirc3.pdf

(*6):https://www.iaea.org/About/Policy/GC/GC04/GC04InfDocuments/English/gc04inf-27_en.pdf

(*7) https://www.iaea.org/sites/default/files/publications/documents/infcircs/1961/infcirc26.pdf

(*8) https://www.iaea.org/sites/default/files/publications/documents/infcircs/1965/infcirc66.pdf

(*8a) https://www.iaea.org/sites/default/files/publications/documents/infcircs/1965/infcirc66r2.pdf

(*9): https://www.iaea.org/sites/default/files/publications/documents/infcircs/1972/infcirc153.pdf

(*10): https://www.iaea.org/sites/default/files/infcirc540c.pdf

 

 

 

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