放射光の聖地はSSRLなのか〜独自の文化を持つ3GeVリング

放射光の聖地は何処なのかという質問への答えは様々かもしれない。歴史的にはGEのマシンとされているが、別の人はフランスのACOリングを挙げるかもしれないし、核研SOR-RINGだという人もいるかもしれない。しかし汎用のX線リングが世界的に建設されるようになったのはSPEARリングを有していたSSRL(注1)が原動力となったということに異論を挟む人はいないだろう。実際、世界の放射光施設に与えた影響は大きく、課題申請して成果公表を条件に無料使用という運営基準はここが発祥の地である。そういう意味で間違いなく現在の放射光利用の聖地はSSRLと言えるのではないだろうか。

 

(注1)SSRLの前身はSSRP(Stanford Synchrotron Radiation Project)。スタンフォード大学の高エネルギー加速器SLACの敷地内にある。なお現在のSSRLのLはLightsourceだが当初のSSRLのLはLaboratoryであった。

 

SPEARの輝かしい歴史

ポジトロン・電子衝突リングとして直径80mの4GeVSPEARリングは1972年に整備された。SPEARリングの功績は世界の加速器の中でもずば抜けていて「最もコスパの高い加速器」として知られている。中でも1974年に発見されたクオーク・反クオークでできたJ/psi粒子が有名で、この仕事は以後のクオーク研究の先鞭となりBNLの研究者とともに1976年のノーベル物理学賞に輝いた。また1976年の電子、ミューオンに続く3番目のレプトン、tau粒子の発見も1995年ノーベル物理学賞をもたらした。ちなみにスタンフォード大学のノーベル賞受賞者は27名。

放射光寄生利用の先鞭をつけたのは核研ESであるが、SPEARはX線領域の放射光寄生利用の先駆者であった。1970年代後半にはSPEARリングからのX線は世界唯一の高強度X線光源であった。世界中から結晶学や分光研究者が集まり先駆的な成果をあげて、技術や施設運営のノウハウを習得した。各国の放射光施設が「元祖SSRL式」の共同利用形態をとったのはそのためである。

日本ではKEK-PFの建設時に利用技術では圧倒的に先行していたSSRLから全てを習得しなければならなかった。1980年にカーター大統領の音頭で日米科学協力事業のもとで筆者もSSRLに短期滞在して、放射光利用に欠かせない技術を持ち帰った。SSRLの文化は「開かれた知識・技術」であり、快く後に続く研究者を支援してくれた。これはカリフォルニア州の文化すなわち多様性に寛容な「リベラルの文化」でもあった。

 

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Credit: SLAC

 

SLACの戦略とSPEAR3の位置付け

SLACは3GeVリングSPEAR3の他に自由電子レーザーLCLCとLCLS2を抱えている。これまでSPEAR3を維持しながら、LCLS関連施設に予算を集中してきたが、SPEAR3後継機の話は聞かない代わりにPEP-Xという回折限界光源化計画も現実味を帯びてきた。スケジュール的にはドイツDESYのPETRAIVに先を越されることになるが、6GeV回折限界リングへ向けて準備に余念がない。SPEAR3の現状はどのようになっているのだろう。SPEAR3にはなぜ更新予定が無いのだろうか。

前身のSPEARリングへの入射にはSLACが使われていたが、この効率が悪かったためSPEAR3は専用の入射システムを持つ。使い勝手は格段に改良されてSPEAR3は万人向けの汎用マシンとなったが、専用リングの台頭とともに放射光エントリーマシン色が強くなっていく。年間1,600名の実験者の30%が放射光利用が初めてで、60%がポスドクということからも、最先端光源はLCLS、LCLS2(下の写真)そして将来はPEP-Xに譲り、自身は教育と汎用研究に狙いを定めて他施設と共存する方向を選んだ姿勢が鮮明になる。SSRLはフォトンサイエンスの最先端をLCLS、蓄積型リングの究極をPEP-Xに託したということになる。

 

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Credit: LCLS2

 

そのためSSRLは初心者用に回転の早い短時間マシンタイムを割り振ったり、スクール(注2)やワークショップを積極的に開催してより高度な教育を行うなど、放射光研究者の育成に力を入れている。一方で論文数600/年は同じ規模の放射光施設のアウトプットとして遜色の無いものであり、研究者の育成と研究ツールの双方をこなしているが、そのうち20%が博士論文になっていることからも専門性の高い教育機関の性格が明らかである。

(注2)夏休み期間中でもキャンパスにはサマースクールの聴講生が行き交い熱心な授業が行われている。SSRLには放射光の教育を引き受けるだけの実績がある。経験豊かなスタッフの支援体制も充実している。下の写真はSSRL Summer School2016の風景。国籍を問わない参加者が講義やハンズオンで機器類の操作法と解析コードに慣れ、秋からのビームタイムに備える。研究グループにに参加すれば学生は、授業同様に多国籍の研究チームに参加することになるので、こうしたサマースクールで自然に社交性のスキルを身につけることになる。

 

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Credit: 2016SSRL Summer School, Courtesy of Flicker

SSRLの初期には近隣のシリコンバレーにあるヒュレットパッカードやゼロックスなどのIT企業との連携研究が多かった。現在では薬剤メーカーやエクソンをはじめとする石油関連企業、化学系企業の利用も増えている。最近ではタミフルの開発にSPEAR3は重要な役割を果たした。

 

SPEAR3の独特の文化はリベラルの真髄

SPEAR3の光源性能を以下に示す。最新鋭の低エミッタンス光源ではないが、汎用マシンあるいは教育用には十分な性能である。

エネルギー(A): 3GeV(500mA)

周長:234m

水平エミッタンス:10nmrad

垂直エミッタンス:14pmrad

バンチ間隔:2.1n

直線部:9x2.3m、4x3.7m、1x1.5m(シケイン)

 

SPEAR3のビームラインはステーションと呼ばれる分岐ビームラインを指す。ビームラインの分岐が多いのはSSRLの伝統である。ステーションはビームポートの数字にハイフォンで区切られる表記となるので、わかりにくい。全13ポートに29ステーションが配置されている。ビームライ設計の観点で効率良く配置されるのでX線、軟X線、VUVのステーションが隣り合う「雑多な」印象を受ける。これもSSRLの文化である。

ひとつのハッチが多くのX線実験装置で共有されるのも、なるべく多くの実験者に解放すべきだというSSRL流の「リベラル精神」によるものだが、現在では時代を感じさせる。分岐ビームラインでは必然的にサイドステーションと呼ばれる非対称の実験ハッチが多い。サイドステーションには大型装置は持ち込めないしアクセスが左右片側なのも実験者には都合が悪い。最下流のステーションだけはエンドステーションと呼ばれ、左右が自由に使える。

性格の異なる実験ステーションが入り乱れると、隣り合った異分野の研究者のミキシングや連携が盛んになりいわゆる「学祭」状態が実現するメリットがある。KEK-PFにもこの伝統は受け継がれている。ただし第3世代リング以降では専用ビームラインが主流になり、異分野の研究者間の交流の機会が減ったのは残念である。

 

SSRLのウイグラー・ビームライン

SSRLのビームラインの例としてウイグラー・ステーション4-1の仕様を示す。4-1はX線分光を想定した6-38keVのエネルギー領域の高フラックスビームラインでウイグラー光源を利用する。ここで特筆すべき点は放射性試料の扱いが許可されていることで、筆者の記憶ではすでに80年代からロスアラモス国立研究所の研究者がアイソトープ試料の実験で利用していた。

光源:20ポール、2Tウイグラーから0.75mradをサイドステーションで利用。

光学系:初段はRhコートSiのコリメータミラー(1m)、液体窒素冷却DCM

フラックス:収束なし(コリメート無し)ではエネルギー範囲5.5-38keV、ビームサイズは18(H)x4(V)mm、2x1012phton.secでコリメートして5-23keVに制限されるが、縦方向のビームが2mmになる。現在の放射光施設ではmmサイズのビームラインは珍しいが、初心者や一般の試料ではかえって実験しやすい面もある。

 

SPEAR3が後継機による更新計画がないままLCLS2以後の計画としてPEP-Xが計画されている理由は、放射光の汎用的な使い方や初心者向けの教育目的には、光源に先端性は要求されないため、使いやすいリングの維持で十分という判断によるものだろう。確かにユーザーからは安定で利用時間が長いことが求められている。ただしSPEAR3は西海岸の強い夏の日射で冷却が不足するため夏場にシャットダウンされるため12カ月のうち運転期間は9カ月である。

SSRLの所長であったビーネンストックは加速器設計のウイニックとともに各国を回っては放射光の威力を(宣教師のように)アピールした。各国の放射光施設の建設のきっかけになったことから、SSRLは放射光の聖地と呼ぶことは妥当なのではないだろうか。

 

SSRLを支えた研究者について考える時、忘れることができないのは、SSRL元所長の(アーテイこと)ビーネンストック教授と加速器グループの中心となった(ハーマンこと)ウイニック教授である。ウイニックは世界中の放射光の設計者に影響を与え中東初の放射光SESAMEの実現に貢献し、現在はアフリカにも放射光施設の実現を目指して努力している。この他にもバカラック、リンダウ、キンケイド、ジョー・ストール、ジョージ・ブラウンなど著名な研究者をスタッフとしていた。理論家のドニアックもSSRLの発展になくてはならない存在だった。こうした人脈で層の厚い放射光コミュニテイを支え、指導的役割を果たしたのである。

 

そんなSPEARにも泣き所があった。それはゲストハウスと呼べる共同利用研究所に不可欠の宿泊施設が最近まで無かったことである。ゲストハウスがないためSLACから離れたモーテルから通うことになる。当時「スタンフォード・ヒルトン」と揶揄されたホテルに宿泊できるのは高給取りのIBM研究員だけだったと記憶している。日中のモーテル(筆者の愛用はStanford Motor Inn)は轟音エアコン付けっ放しでようやく眠れた。言い出せばきりがない。80年代にはSSRL事務棟はトレーラーハウス、光源棟はバラックだったし、トイレにガラガラ蛇がでたこともあった。しかし明け方まで頑張って実験が成功した時に帰り道で見る朝焼けは格別に美しかったし、息抜きに太平洋岸に足を運べばゾウアザラシを近くで見れる楽しみもあった。

SSRLが放射光科学の発展に与えた影響を考えれば、やはり「放射光の聖地」と言えるのではないだろうか。特に放射光に「リベラル精神」を持ち込んだのはSSRLだった。

 

 

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