APSアップグレード(APS-U)の狙い〜基礎科学で再興を目指す米国

放射光は現在、6GeVの第3世代リングがESRFを筆頭に順次、アップグレードに入りそれぞれに約1年間の「ブラックアウト」と呼ばれる静寂の停止期間が訪れる。米国の放射光の要と言えるAPSはどのような戦略でアップグレードに望むのであろうか。エネルギー省の予算計画は認められたものの、それは米国が威信をかけて世界一のX線光源となることが条件であった。

 

放射光の動向と高エネルギーリングの位置付け

90年代になって第3世代リング(注1)が稼働し挿入光源の有用性が認識されると、3GeV(第3.5世代)リングの建設ラッシュが世界的な潮流となった。第3世代リングは安定に電子を周回させるためにDBAなどの確立したラテイスを用いて設計された。その後に建設された3GeVリング(第3.5世代)はより低いエネルギーでも挿入光源のおかげで、(汎用的な波長領域では6GeVリングに遜色ない)高輝度X線が得られる。6GeVリングの建設には1,000億円もの費用がかかるので財政的な事情もあって各国で建設が相次いだ。

(注1)6-8GeVリングは稼働中が4箇所、建設予定が1箇所の計5箇所。2年後には世界で5箇所で6GeVリングが稼働する。

 

第3.5〜4世代蓄積リングの登場

近未来は偏向磁石を分割したMBA(Multi-bend achromat)と呼ばれる新しい原理に基づく第4世代3GeV低エミッタンスリングが、第3.5世代リング(注2)のアップグレードと共存する時代である。第4世代リングの中にはアップグレードでMBAを採用したものもある。ESRFのアップグレードは現在進行中で、ここではこれから始まるAPSのアップグレード(APS-U)計画がどのように決められたのか、またそれがどのようにサイエンスに反映されるのかについて簡単にまとめてみた。詳しくはCDRと計画の各種資料を参考にされたい。

(注2)ESRF、APS、SPring-8のオーバー6GeVリングを第3世代とすると、それ以降建設された初期の3GeVリングを第3.5世代と呼ぶことにする。第3.5世代から一歩抜け出したのはMBAのパイオニアMAXIVでこれから始まる3GeVリングと、第3.5世代、第3世代リングのアップグレードは第4世代となる。

日本の第4世代3GeV放射光は依然として「もつれ」状態が続いている。また第3世代リングとしてアップグレードされるSPring-8もそのスケジュールは未定で、KEK-PFの老朽化を含めて日本の放射光科学の将来に暗雲が立ち込めている。この状態を打破するにはアップグレードで何が変わるのかを理解し、計画推進の必要性を施設とユーザーが共有することが重要であろう。

APS-Uはアップグレード計画の冒頭でそのミッションを以下の6つの「問いかけ」に答える施設として定義している。これらは以下の1〜6のサイエンスの要求に対応させ、アップグレードは光源性能を世界の動向に対応して改良する「光源ありき」の施設の拡充計画ではなく、「新たに開かれるサイエンスのためのツール整備」の立場を貫いている。逆に言えばすでに世界の光源性能は現在のAPSを最先端から距離のある位置に置くほど進歩しているから、ひたすら光源性能を追い求めるだけではやがて追いつかれる運命にある。そこでサイエンスが求める性能を実現するための施設整備とせざるを得なかったのである。最初のアップグレード計画が差し戻されたのもそのあたりが理由なのではないかと思われる。

 

APS-Uで開かれる新しいサイエンス

1. メソスケール工学と先端材料

2. ソフトマターの構造、ダイナミクス、機能

3. 生物と生命科学

4. 触媒の化学反応における構造とダイナミクス

5. 地球科学、環境科学、極限科学

6. 先端的凝縮系物理

 

APS-Uのミッション

•新規な状態と非平衡状態への経路の決定

•巨視的な系の化学変換のナノスケール観察とその制御

•複雑相間系の動的不均一性の理解と制御

•極限環境での物理的および化学的プロセスの理解

•幅広いスケールにまたがる生物学的機能の解明

•原子レベルの欠陥制御による新機能材料の創造

 

APSのアップグレードの骨子

APS-Uで特徴となるのはMBA(7BA)で実現する世界最高輝度のX線光源である。MBAの能力を生かすためにスワップアウト入射(常に新鮮な電子を周回させてビームの品質を落とさない)も導入する。特筆すべきはこれらの新技術がMAXIVを筆頭とする3GeVリングによって開発されたことで、APS-Uが第4世代リングの一翼を担うには3GeVリングでのラテイスの進歩が必要であったのである。スワップアウト入射を含めた低エミッタンスリングへの入射については下記の資料が詳しい。

Angela Saa Hernandez and Masamitsu Aiba,  Investigation of Injection Schemes for SLS 2.0 1 st Workshop on Low Emittance Lattice Design, Barcelona, April

 

MBAの恩恵がまず現れるのはエミッタンスである。偏向電磁石からの放射光の水平エミッタンス(εx)は次式で表現できる。

                    εx= CL E2/ND3

ここでCLは定数、NDは双極子磁石の個数、Eは電子のエネルギーである。この式からNDを増やして各々の偏向角を小さくすれば、エミッタンスを下げることができることがわかる。簡単に言えばMBAが複数(4-7個)の双極子磁石を用いるのはこのためである。

エミッタンスが低ければ輝度が高くなりビームを絞った実験には都合が良い。輝度が高くなるとどこかでそれ以上、輝度をあげられない回折限界エミッタンス(εγ)が実現する。σγ 、σγ′をそれぞれビームサイズと広がりの積として波長と次の関係にある。

                         εγ= σγ ・σγ′= λ/4π

得られるフォトンビームの輝度は電子ビームのエミッタンスと回折限界フォトンのコンボリューションとなるが、上式から波長が短いほど回折限界エミッタンスが小さい。高エネルギー蓄積リングの「メリット」がここにあることが理解できる。

APS-Uを含めた世界の6台のリングでは高輝度ビームの結果として高干渉性(コヒーレンス)ビームが得られる。APS-Uの概要は7GeVを6GeVとし現在のラテイス(DBA)を7BAとすることによって、水平エミッタンスを1/50とするものであるが、フラックスを増強するために電流値も200mAにする。この結果水平、垂直方向でのエミッタンスは50-70pm、5-50pmとなる。

下に示した輝度スペクトルから10keVまでの領域(軟X線からTender x-rayと呼ばれる領域)は他施設とそれほど変わらないが、10-100keVの硬X線領域では他を寄せ付けない光源であることがわかる。

 

APS-U Early-Science-103015-FINAL

Credit: APS

 

APS-Uの電子ビームエミッタンス(60pm)は硬X線領域の回折限界に近くなる。10keVのコヒーレンス率は10%と現在の100倍の増強となる。50keVでのコヒーレンスも現在の10keVでの値と同等で、アップグレード後にはコヒーレンスを用いた実験に強みがあることを意味する。下に示すコヒーレントビームフラックスを参照。

 

ALSUcoherentflux1000x779y

Credit: APS

 

APS-Uでは水平方向と垂直方向のエミッタンスがほぼ等しくなる「完全カプリング」状態が期待できる。このため平坦な従来のビームに比べてほぼ円形のビームが得られるためイメージング実験に都合が良い。また〜0.1といった従来の低カプリングモードは最高輝度が得られるため、カプリングの最適化も特徴である。MBAの弱点であるダイナミックアパーチュアが小さいこととバンチ数が少ない場合に顕著な短寿命の問題はスワップアウト入射で対処する。

ビームの高輝度化は挿入光源によっても可能である。APS-Uでは20keV以上の実験には超伝導電磁石を用いたリボルバーアンジュレータを計画している。ただし建物やユーテリテイなどの施設(注3)のほとんどは、現状のままでコスト削減に寄与している。

(注3)APSもSPEARも米国の放射光施設は簡素な建物である。APSのホールをくまなく見て歩くと、建物が簡素でビームラインによる設備の格差も大きく、低コストで最大限の結果を出すことに努力した形跡がはっきりしている。日本では共同利用施設は全国の研究者が利用することで建物やユーテイリテイも贅沢につくることが多いのと対照的である。

 

高コヒーレンスを積極的に利用した実験にはどのようなものがあるのだろうか。APS-Uの想定する「将来性のある」X線実験手法は以下のようにまとめられる。

・ 5nmまでの高空間分解能X線イメージング

・ 1原子解像度を有するコヒーレントイメージング

・ 80keVで100nmの分解能を有する高エネルギー高分解能3Dイメージング

・ 20keV以上の領域で10nmの分解能を持つコヒーレント手法

・ 10原子の感度を持つ極微量分析

・ 10-1nsecの時間分解能を持つ相関分光

・ TPa領域(注4)までの超高圧、超高温の極端条件で10nmの被対象物を観察

 

(注4)現在の限界は約220GPa。

 

APS-Uの計画書にはこれらの実現で開かれるるサイエンスが具体的に記述されている。

全体を通しての印象はユーザー層の要求が光源性能に噛み合ってアップグレードによって期待できるサイエンスのアウトプットが網羅されていることに驚く。残念ながら日本では3GeV計画がややもすれば光源主導で進められている感が強い。3GeV建設の「もつれた」状態が続いているのもその辺りに原因があるとしたらユーザー全体の責任でもある。早期にサイエンス主導の新光源の必要性と可能になるサイエンスを主体にした計画書の作成が必要なのではないだろうか。

おそらく3GeVというだけでは新鮮味も独創性も感じられないほど時代は進んでいるのだろう。しかし3GeVリングの意味は6GeVリングとの比較においてはっきりする。つまり両者は相補的に広大なフォトンエネルギーをカバーするから両方を持つことが重要だと行くことが上の図ではっっきりする。2つの第4世代リング、すなわちAPS-Uに劣らないSPring-8アップグレードとMAXIVの上をいく3GeV光源、この2つに絞り込んで資源を有効に使うべきではないだろうか。SPring-8アップグレードはよく練られたAPS-Uを参考にして少なくともAPS-U以上の説得力ある計画が必要だ。

もちろん光源設計・建設チームがサイエンスの陰に隠れるわけではなく、予算書において光源を整備して何がどう変わるか、という付加価値を大いに強調することで説得力が増し予算獲得がしやすくなる。施設を要求することでは100億円以上の大型設備の予算がつきにくくなったことは大阪大学の次期大型レーザー計画の予算申請で学んだはずである。予算獲得にはコミュニテイの一致した要望と同時に研究アウトプットの「契約」(Covenant)が必要になったということなのだろう。

 

繰り返しになるが、輝度スペクトルとコヒーレントフラックスのスペクトル図でAPS-UはSPring-8アップグレード、MAXIVが宙に浮いた状態の3GeVリングに対応する。両者を早期に実現することが重要でコミュニテイ(放射光学会)はそのためにコンセンサスを得て、学術的な指針を示すべきではないだろうか。その過程で3GeVリングの「もつれ」も解消し、2つの目標に邁進することができるだろう。

 

しかし米国の放射光施設にはもうひとつのアプローチがある。ALSに代表される〜2GeVである。Tender x-rayまではより高いエネルギーのリングに遜色のない輝度でありながら超伝導偏向電磁石で短波長側にスペクトルをシフトしたコンパクトでも高性能のリングである。若干エネルギーが低いが、日本のあいちSR(1.2GeV)も同じアプローチで、中国ではBAPSの建設後に予定されているHALSが2GeV、周長1000mのマシンとして検討されている。余裕のある周長は磁石配列の自由度も大きく、ひょっとすると驚くような低エミッタンスリングが登場するかもしれない。

 

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