科学技術立国を目指すには〜研究環境の変質によるリスク

国立大学への運営交付金は年3%で減り続け、慢性的な研究予算不足に陥ることとなったが雇用費の圧縮により、退職教官の補充ができない学部も増えている。ノーベル賞を受賞した大隈教授の指摘する研究環境の変化が無視できないのが現実だが、科学技術立国を目指す方向性と真逆の傾向はなぜ顕著になったのか。

  

行きすぎた競争原理への反省

2011年(平成23年)の科学技術関係予算全体は前年度比2.1%増となり、科学研究費補助金(科研費)が2000億円から、2633億円と若干ではあるが増額された。科研費予算の推移はこの時にステップ上に伸びたがその後は徐々に減って2015年には2011年以前の水準である2000億円から273億円の増に落ち着いた。

大学教員や国立研究所職員による「行きすぎた競争原理への反省」に関する警告はネットに溢れている。弊害の多くが大学の自治権が剥奪され、高等教育・基礎研究を事業とみなす法人化に起因することを指摘している。大学・研究所の最高議決権は理事会に委ねられ、高等教育・研究は経営戦略のもとで厳しく監視されることとなったのである。科学技術関連の予算の傾向を見てみると、2000年に入ってから補正予算を除くと横ばい状態が続いている。

2013年に日本経済再生本部が設置され研究開発法人の機能強化、研究支援人材のための資金確保、官・民の研究開発投資の強化、知的財産戦略・標準化戦略の強化等が掲げられた。また文部省と科学技術庁の一体化で政府予算の63.7%(2014年度)を占める文科省が作られ、高等教育と科学技術研究の統合によって効率化が図られることになった。さらに補正予算で省庁横断型予算措置として戦略的イノベーション創造プログラムが設けられた。これらの省庁改変と公的研究機関の組織改革によって、予算の重複による無駄がなくなり、事務書類は減って予算の繰越が可能になるとして、研究の効率化が期待された。しかし実際には逆に書類は煩雑化し予算は横ばいのまま、大学の格差が広がった。

 

伸び悩む運営交付金

これらの施策は一見すれば研究の効率を上げて政府の目指す国際競争力を増強するはずだった。現実を見れば過去10年以上にわたって科学技術予算は横ばいである。一方で一定の年率で機械的に運営交付金が減らされることで、研究機関の予算が減り科研費応募が増えた。応募数は2012年の96,000件に対して2015年には107,000件と、4年間で12%の伸びたことで採択率が下がり狭き門となりつつある。大学・研究所を問わず研究職員に競争的資金を取りにくような「指導」が行われている。しかし全体の予算が増えないのだから競争率が高くなり採択率が低くなるのは当然である。

競争的資金といっても現実には科研費応募となる。競争原理のもとではプロセスは評価の対象にならず成果だけが評価されるので、開発要素の多いテーマはそれだけで不利となる。そのため研究者はテーマを自由に選ぶことができにくく、成果に結び付くもの、予算が付きそうなものを選別することにならざるをえない。

一方では新しい産業に結び付く可能性の高いとされた特定テーマにはそのテーマを分担する主要な研究者を連携すれば「特別推進研究」や「新分野学術研究」のように、大型予算の獲得で手厚い研究支援がなされる。都合の良いテーマを選んだ特定の研究者に予算が集中する「格差」を生む文化が生まれる。そのため若い研究者層のテーマの選択と方法論にはリスク回避に走る。選択と集中によって手厚く支援されたテーマがその後、どうなったかについて10年スケールで長期追跡調査を行う必要があるだろう。

 

選択と集中の行き着く先

目標が見え始めたテーマでは「選択と集中」という方法論は効率が良い。しかしオンリーワンを目指す「探索的・独創的」なテーマには通用しない。役所がテーマを選ぶ時には独創的ではなくなっているからである。研究者も自分がどちらを希望するのか、またどちらに適した人材なのかはわかっているのだから、競争的資金には両方の入り口があっても良さそうである。ただし後者の場合には出口があるかは保証されない代わりイノベーションの糸口となる「ハイリターン」もあり得る。

しかし雇用の問題がくすぶり続ける以上、若い世代に研究意欲を求めることはできない。契約雇用が蔓延している社会の中にあって現実にはその契約雇用(ポスドク)すら与えられていない状況は先進国として恥ずべき状況である。大隈教授の言う「基礎研究の自由」には予算と雇用が保障されることが前提である。

 

科学技術のアウトプットに見られる最近の傾向を基礎科学論文数で見てみると、興味深い事実が浮かびあがる。下に示すように論文の数でみると2000年に入ってから中国の躍進は驚異的だが、それ以上に日本の論文数が2003-2004年をピークとして減少傾向にあることである。論文の投稿に値する研究成果が減ったとすれば問題だ。もちろんNature系の投稿費用が高額であり投稿負担が大きいこともあるが。

 

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掲載論文のシェアを示した次の図を見ると日本だけではなく先進国特有の問題であることが明らかになる。欧米の論文シェアは軒並み落ちているので、先進国に共通したアカデミズムの問題があることは確かなのだが、問題は日本が際立っている点で、しかも2003-2004年以降に顕著化していることである。全体の論文数では安定して増大傾向を示す米国で、1986-1987年ごろに始まったシェア減少は 欧州は1998年から始まりアジアの中で異質な日本はやや遅れて2000年代に入って間もなく顕著になった。

 

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先進国とは好対照に中国と韓国は全体数でもシェアでも増大の傾向は変わらない。ということは先進国のシェア減少は中国、韓国などアジアの国々の躍進による相対的なものではない。 

このことが大隈教授の指摘する日本の基礎研究の弱体化であり、現在ノーベル賞を授与されている仕事のほとんどが1980-1990年代のものであり、このペースで弱体化が続けばノーベル賞は期待できなくなる恐れがあるというのも納得できる。では2000年代初頭に研究アウトプットを低下させる何があったのか、という疑問に対して2004年の大学法人化だという見方がある。

法人化の問題点はすでに触れたが法人にそぐわない組織を法人化することによって、事務手続きや書類が飛躍的に増えたことは否定できない。コンプライアンスやセキュリテイに時間と労力を取られ、研究に費やせる自由な時間が減ったことには異論がないだろう。論文数シェアの半減が法人化によるものだけではないだろうが、法人化、研究予算の減少、雇用の3つが相乗効果的に働けばこのくらいの悪影響は出てもおかしくない。

 

2001-2004年に何があったか

(米国からの構造改革についての強い圧力のため)2001年に小泉政権のもとで、中央省庁再編が行われ22省庁は一気に12省庁に減らされた。同年に通産省(現在の経済産業省)工業技術院傘下の15研究所が統合されて産業技術総合研究所となった。第2次小泉内閣改造にあたる2004年に国立大学が法人に移行した。

 法人化の問題点については滋賀大学学長の佐和教授の詳しい説明と法人化の課題を参照していただきたい。文科省も説明に窮しているようだが、これだけ悪い影響がはっきりしたならば見直しをすべき時が来たのではないだろうか。構造改革(組織改編、法人化)を急に進めたことにより、アカデミアに歪みと格差が生まれたが、せっかくの改革が結果的には最も重要なはずのアウトプットを落とすことになった。欧米のいいなりになって日本に馴染まない文化を持ち込むことの危険さがこれではっきりしたのではないか。

 欧米にならって先進国入りを果たした日本だが実は日本的慣習の中に欧米が羨むものもあるから何でも後追いするのではなく、時にはじっと立ち止まって考えて取りれるべきものを選択するべきなのだろう。大学の法人化によって大学の自治権が増大すると言われて法人化を受け入れた。研究所を束ねれば強くなり発言権も自由度も増して事務量も減ると言われて合併に従った。しかし20年を経てそれらが実行されただろうか、またアウトプットは増大したのだろうか。

 

 

 

 

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